どうもこんにちは、あきもぐです。

潜伏キリシタンが世界遺産に登録されましたね!

 

これで2018年現在、日本の世界遺産は22件になりました。

 

今回はそんな潜伏キリシタンについていくつか調べてみました。

有名なのは迫害や踏み絵などですが、ぎゃくにキリシタンによる人身売買(奴隷売買)として拉致された日本女性も多くいたとか・・・

 

また、潜伏キリシタンといっても「姫路城」や「富士山」とちがい、今回は潜伏キリシタンたちがかかわった幾つかの場所が登録されています。

 

そういった場所についてもみていってみましょう!

潜伏キリシタンとは

キリシタン

(写真はフランシスコ=ザビエルですが)

 

潜伏キリシタンとはその名のとおり、踏み絵や密告、迫害などを逃れて潜伏していたキリスト教徒たちのことで、 カトリック でした。

 

禁教令もあり、このころは捕まれば拷問の末に処刑されてしまうようなことも多くありました。

彼らはそれを逃れ、自分たちの宗教活動や布教を続けていったのですね。

 

表向きは仏教徒ですが、江戸幕府によって「キリスト教徒=賞金首」にされてしまい、表向きは仏教徒を装って生きていました。

 

潜伏キリシタンと隠れキリシタンの違いとは

意味的には違いがわかりませんよね。

しかし言い回しに違和感があるのは確実です。

 

なぜ隠れキリシタンでなく、潜伏キリシタンなのでしょう?

 

ここは隠れキリシタンのほうが日本語的に普通な感じがする人がほとんどではないでしょうか?

 

 

 

潜伏キリシタンは上記のとおり、「隠れて活動を続けていた カトリック 」です。

 

そして隠れキリシタンというのは、カトリックと日本の昔ながらの民族宗教が混ざりあった派閥の人たちです。

その民族宗教というのは主に「祖先崇拝」、「現世利益」、「儀礼主義的傾向」などです。

 

そのため、「本当はキリシタンなのに仏教徒を装い続けた」という点では潜伏キリシタンと同じものの、禁教令が解かれたあともカトリック教会に戻ることはなく、こんにちまで独自の信仰を維持しています。

 

こうなってしまったのは、200年以上(禁教令のせいで)表立った指導者がいなかったためでした。

潜伏キリシタンを生み出した禁教令

禁教令にもいくつかありますが、その中でも一番最初に発令されたものは豊臣秀吉によるものでした。

豊臣秀吉

 

彼は1587年に「伴天連(ばてれん)追放令」という政令を出し、次々に伴天連(カトリック宣教師の称)たちを迫害します。

 

 

また、江戸幕府が始まったばかりのころ、諸外国との貿易でそれなりに利益を得られていたことから徳川家康はキリシタンたちを黙認しますが、その後イエズス会と関係が悪化し、キリシタンと幕府関係者による賄賂事件が発覚するとキリシタンは警戒されるようになります。

徳川家康

 

そして彼らが西日本に固まっていること、敵対すれば結束力が増すほどの団結力、豊臣家の残党と結びつく危険性があったことでついに1612年に禁教令が発令されます。

徳川秀忠(←2代目将軍、徳川秀忠の時期に発令された)

 

そしてなかなか守られないことから幕府は1614年から、とうとう摘発、拷問、踏み絵などに本腰をいれはじめます。

 

潜伏キリシタンが迫害されたのはなぜか

今日、潜伏キリシタンというのは「殉教」「信徒」といった言葉で飾られています。

学校での授業でも、彼らは偉人として語られていますよね。

 

しかし迫害されたのにはしっかり理由があり、それは授業でも、今回の世界遺産登録でも無視されているものになります。

 

というのも、彼らはあくまで金儲けのための先兵として来日したということです。

 

当時、キリシタンは日本だけでなく世界中に渡来していました。

 

そしてそこでキリスト教を広め、内部から反乱を起こすことで支配し、搾取するのが定石でした。

 

日本でも約50万人の女性が奴隷として拉致され、豊臣や徳川はこれを問題視します。

 

また、キリシタン大名は多くが古くからある神社仏閣や僧などを攻撃し、破壊しました。そのうえで巡回勧誘し、ものすごいスピードで信徒を獲得していきました。

こういったことも、日本を背負っていた幕府や将軍には許しがたかったのですね。

 

キリシタンが皆殺しにされた戦い

1637年、3代目将軍、徳川家光の時代に、2万人のキリシタンによる蜂起が起こりました。

徳川家光

「島原・天草一揆」とよばれるこの蜂起は、禁教令や不作、厳しい年貢の取り立てに対する怒りが爆発する形で起こりました。

 

しかしながら幕府にとっても団結力の高く、国を植民地にしかねないキリシタンという集団は非常に恐ろしい敵で、4か月もの間にわたって戦いが続きます。

 

そして結局、この蜂起軍はほぼ全員、老若男女とわず皆殺しにされます。

天草四郎

キリシタン大名として蜂起軍を率いた(実際はまだ10代の若造という認識だったという説もある)天草四郎ももちろん討ち取られますが、その後は神格化されたという説もあります。

 

潜伏キリシタンの信徒発見

禁教令が発令されてから250年以上、キリシタンは潜伏していきます。

 

そして幕末、開国が進みフランスと国交を持っていた日本に、フランス人キリシタンである「プチジャン神父」がやってきました。

 

彼は礼拝堂を作ってもらい、そこで祈りを捧げていました。(布教活動をしなければok)

プチジャン神父

 

そしてそんな彼のもとに杉本ユリをはじめとする潜伏キリシタン15人が現れます。

 

そこで自分たちが潜伏キリシタンであることを伝えたことで、初めて(禁教令が敷かれている)日本でもキリスト教が受け継がれ、信仰の対象になっているという事実を外国が知ります。

 

これを「信徒発見」といい、特にプチジャン神父は大いに喜んだのでした。

潜伏キリシタンの世界遺産登録の理由

もともと、日本政府は「隠れキリシタン」で世界遺産登録を目指していました。

そのため、今回登録された場所よりも幾分多い場所が取り上げられていました。

 

 

しかし隠れキリシタンはカトリックではなく、いってしまえば異端の宗派です。

ここが登録されてしまえばカトリックにとっては違和感がありますよね。

 

また、日本の特徴である「禁教令期」に焦点をあてたほうが登録されやすいとイコモスがアドバイスしました。

 

そのため、名称は「隠れキリシタン」から「潜伏キリシタンの関連遺産」となりました。

 

潜伏キリシタンの関連遺産の場所

長崎と天草地方にある関連遺産は11個あります。

平戸の聖地と集落
黒島の集落
外海の出津集落
外海の大野集落
大浦天主堂
原城跡
天草の﨑津集落
久賀島の集落
奈留島の江上集落
頭ヶ島の集落
野崎島の集落跡

こうみると「集落」が多いのがわかると思います。

 

当然ですが潜伏キリシタンというのも人間です。

なので群れて生活していたのですね。

 

どこもが絶景なので、公式サイトを確認して行きたいところを決めてみるのも楽しいかもしれません。

(公式サイトはこちら)

潜伏キリシタンの登録を福山雅治もお祝い

俳優でありミュージシャンでもありパパでもある福山雅治ですが、彼もこの登録をお祝いしていました。

 

このたびは、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録おめでとうございます。長崎の様々な歴史を知ることでこれからの人類の平和にも繋がっていく。今回の世界遺産登録は、そのきっかけを与えてくれることになるのではないでしょうか。

 

福山雅治さんは長崎出身で、自身を被爆2世と称しています。

 

もはや長崎のシンボルともなっており、長崎 Blue Islands Projectという企画もされています。

 

今回のめでたい登録を機に、また長崎県ないしは国内でイベントを催してくれるとファンとしては嬉しいですよね!

まとめ

主に潜伏キリシタンの歴史について見てきてみました。

 

彼らは精力的に布教しましたが、中には植民地化や人身売買など悪しき思惑があってやっていた人もいます。

 

そのため豊臣秀吉や江戸幕府は禁教令を出し、厳しい迫害をせねばなりませんでした。

 

しかし「信徒発見」にみられるように、潜伏キリシタンは着実に根を下ろしていき、受け継がれてきました。

そして今でも存在しており、キリスト教は信じられています。

 

また、今回登録された場所はほとんどが集落ですが、写真を見てみれば幻想的でぜひ行ってみたい気持ちにもなります。

ただしいくつかの教会に関しては事前予約が必要とのことなので、公式サイトでチェックしてみたくださいね。

 

ではここまでありがとうございました。

今回はめでたく潜伏キリシタンが世界遺産に登録されましたが、来年どうなるかはわかりません。

 

2013年からは毎年一個ずつ登録されてきていますが、それまででは3~4年空いたこともあります。

来年また登録されるのか、されるとしたらどこが候補か、そういったところも調べてみたいですね。

 

では!