君が代

つい先日、こんなニュースがありました。

 

君が代不起立、元教員逆転敗訴=再雇用拒否の賠償認めず―最高裁

 

東京都立高校の教員約26人が、2006~2008年の間に定年退職したあとで再雇用を申込んだところ、君が代斉唱の際に不起立だったとして拒否されたことに対する裁判でした。

 

一審、二審では裁判所に原告側(元教員側)の主張が認められ、都には約5000万円の賠償金の支払いが命じられていました。

 

しかし都が諦めず、最高裁までもつれこんだところで原告側が逆転敗訴したという内容のものです。

 

一審、二審ではこのような判決文でした。

「客観的合理性や社会的相当性を欠き、裁量権の範囲を逸脱している」

 

しかし最高裁になって、状況が一変します。

「基本的に任命権者の裁量に委ねられている」と指摘。(当時は希望者が全員採用される運用が確立していなかったなどとして)「都教委の判断が著しく合理性を欠くものであったとは言えない」

 

こうして、原告側の元教師たち26名にとってあまりにも悔しすぎる決着がついたのでした。

 

 

決着までの長さ(10年もかかっていますよね)が元教員側に与えたダメージも相当大きなものになるでしょうし、敗訴したことで裁判代や弁護士代だけ無駄に使ってしまったような感覚に陥るかと思います。

 

 

それを知り、君が代はなぜ立たなくてはいけないのか、なぜ歌わなくてはいけないのか、なぜ不起立不斉唱だけでこんな不遇を受けるのか、天皇崇拝の歌というのは事実なのか、そもそも作者は誰なのかということなどについて調べてみました。

 

君が代は何を歌ったものなのか

あなたは「はだしのゲン」を読んだことがあるでしょうか?

私が小学生だったころは図書室で普通に貸し出しがされていました。(マンガだったので人気有)

 

しかし、この作品は2012年から2014年の間で「間違った歴史認識を植え付けかねない」として貸し出しを規制する動きが増えました。

 

はだしのゲンの主人公「ゲン」たちは、作中で次のような発言をしています。

 

君が代は天皇崇拝の歌じゃ!

あいつ(天皇)の戦争命令のせいでどれだけ多くの日本人が死んだか!

くそったれ!

 

歴史をもう少し勉強すれば、天皇は名ばかりで実際は民意や軍部の暴走が止まらなかったためであると言えるのですが、小学生では言われたことを素直に受け入れてしまうため、このような天皇を貶める内容が気に入らなかったという側面があるようです。

 

確かに、君が代の「君」には君主、つまり天皇という意味が含まれていると推測することもできるのですが、別に「あなた」という意味もあり、実際のところ作者が何を意図してこれを書いたのかは不透明なままなのです。

 

君が代はヘブライ語であって、国歌ではない?

そんな君が代ですが、じつはヘブライ語で書かれたものではないかという噂があります。

 

君が代は ⇒ クムガヨワ(立ち上がれ!)
千代に 八千代に ⇒ テヨニ ヤ・チヨニ(神の選民 シオンの民!)
細石の ⇒ サッ・サリード(喜べ・人類を救う、残りの民として)
巌となりて ⇒ イワ・オト・ナリァタ(神の予言が成就する!)
苔の生すまで ⇒ コ(ル)カノ・ムーシュマッテ(全地あまねく 宣べ伝えよ!)

 

これほどの類似点があり、実際に発音を乗せたサイト様もあります。

 

 

そして、君が代は江戸時代はもとより、戦後ですらもしばらく正式な国歌として認められてはいませんでした。

 

君が代はもともと、誰かが「国歌として」作詞、作曲したものではありません。

 

江戸時代の末期、様々な国の大使が来日していました。

そうして徐々に不平等条約が結ばれていくのですが(これは明治政府に、キリシタンの弾圧を断念せざるをえなくさせます)、その時期にイギリス女王の息子であるエディンバラ公が来日するということが決まります。

エディンバラ公

それを受け、「(ちなみに欧米諸国の王族としては初めての)国賓を迎えるのであれば、国歌を用意しておいた方がいいのではないか」ということになり、詩を古今和歌集や薩摩琵琶曲の「蓬莱山」からとり、イギリス陸軍・軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが作曲することで、日本で初めての「国歌」が出来あがったのでした。

ジョン・ウィリアム・フェントン

 

つまり、今現在「国歌」としてうたわれている君が代の作詞はもともとそれ用に書かれたものではなく、語り継がれてきたものの中から偶然選ばれたようなものなのですね。

 

その後、日本は大国になっていき、敗戦を迎え、GHQの管理のもとで復興を進めてきましたが、じつは君が代が正式に「国歌」として制定されたのは平成11年(1999年)なのです。

 

なので来年2019年は君が代の20周年記念の年になります。

 

そこでお祝いムードになるのか、君が代の不起立不斉唱の問題が取りざたされるのか、はたまたスルーされるのかはわかりませんが、どうなるかが楽しみですね。

 

君が代の作者はだれ?

君が代の歌詞は古今和歌集に収められていた歌の一つからとられましたが、残念ながら作者は不詳となっています。

 

もともと、古今和歌集は905年から912年の間に完成したもので、万葉集(759年以降に完成)に入りきらなかった歌を厳選したものになります。

 

万葉集だけでも4500首、古今和歌集では1111首なので、その中に作者不詳のものが混ざっていても仕方のないことではあるのですが、それが君が代に神秘性をもたらしてくれている感じもします。

 

ただ、もともと「女性が男性に送る恋文」として考えられていたことから、作者は女性であるという説があります。

なのでこの場合の「君」とは、思いを寄せる男の人だったのですね。

 

しかし時間が経つにつれて女性しか歌えないという縛りが邪魔になってきたので、「君」を天皇という意味に変え、天皇参加の歌として国家にしたという説があります。

 

はだしのゲンでゲンが言っていたことのなかにも、間違いでなかったものがいくつかはあるのですね。

 

君が代の海外の反応として紹介されているもの

そんな君が代ですが、ネットで検索してみればどこもかしこも肯定的な評価が多く見向けられます。

 

もちろん、近い国の人たちのものは除きますが、他の国の人たちからのものは多くが以下のようなものでした。

荘厳だ

なんて美しいんだ

完璧だ

意味深だ

律されている

イタリアなんて「死ぬ覚悟はできてる死ぬ覚悟はできてる」なのに・・・

 

(イタリアの国歌の意味)

イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
シピオの兜(かぶと)を頭に戴き
勝利は何処にあらん
主が創りたもうたローマの僕(しもべ)
我がイタリア その美しい髪を捧げよ
さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
イタリアが呼んでいる、そうだ!

 

このように、日本の国歌は荘厳さが特に海外のかたの心を鷲掴みにするようで、他にも「世界一短い国歌」という点が「無駄なものを省き歌うべきものだけを歌っている」というようにプラスイメージにもつながっているようです。

 

ただ、この荘厳さが逆に苦手という方たちも多い気もします。

 

なぜ立たないといけないのか

「君が代」は、よく学校行事で歌う(歌わされる)ことになります。

 

本来の意味としては、要約すると「日本(またはあなた)の平和がこの先1000年も8000年も続きますように」という平穏を祈ったものになっているのですが、実際、明治時代や戦時中に天皇崇拝、戦争賛歌として歌われたことで、今でもその点に注目して歌いたがらない人は多くいます。

 

しかしたとえば卒業式や入学式など、生徒や親にとって一つの大きな節目となりうる行事で教師が規律をしなければ、せっかくの行事を台無しにしてしまったり生徒の教育にも良くないという声があります。

 

反対に、君が代をどう思うかは思想の自由によるのではないかという声もあり、そのために君が代はよく問題となります。

 

立たないといけないというと「強制」となり、違和感を覚える教師や生徒、親は少なくありません。

しかしそこで場の空気や常識に逆らえば叩かれる。

こういった図式があるように思えます。

 

なぜ歌わないといけないのか

2003年に東京で、2011や2012年には大阪で、公立学校の教職員が国旗に向かって君が代を起立斉唱しなくてはいけないという条例が出ました。

 

当時の橋本知事は「国旗、国歌を否定するのなら公務員をやめればいい」とまで発言しており、強制する対象が公務員のみではあるものの、物議をかもしました。

 

強制的に「国旗」に向かい「国歌」を歌わされるという、人によっては「洗脳」と考えても仕方のないようなものだったといえます。

 

その後も、現在に至るまで全国のあらゆる場所で国歌の斉唱は物議をかもしています。

 

国歌斉唱時に口元チェックまでされるという陰湿さ

大阪府立和泉高校で2012年3月、卒業式の際に当時の中原校長が口元チェックをするよう指示していたというのが問題になりました。

 

すでに少し前の話題ですが、これを受け、教育委員や中原校長、府知事の3者で責任のなすりつけ合いのようなことになり、結局校長は辞任しました。

 

誰が直接的な指示をしたのかはいくつか説があるためなんとも言えませんが、それでも「口元チェック」があったのは事実で、「国歌斉唱」を強制されるのが嫌いな人には耐えられないことでしょう。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

 

国歌が辿ってきた変遷とその問題点について見てきました。

 

「国歌」と聞くと天皇崇拝や軍国主義、洗脳、強制といったイメージが出てきてしまい、それに対する反発心で問題化するように思えます。

 

なんにせよ国歌斉唱の強制までも条例に取り入れることはないだろうとは思いますが、今後、「元の意味や謎な点が」美しい国歌がどのような形で問題になっていくのか、また、変わったりはするのか、そこが楽しみですね。